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山本昌に最年長記録を更新された浜崎真二の波瀾万丈な野球人生

山本昌に最年長記録を更新された浜崎真二の波瀾万丈な野球人生
 9月5日、日本プロ野球界に新たな伝説が誕生した。山本昌(中日)が48歳4カ月にして、プロ野球最年長登板、最年長勝利記録を更新。実に64年ぶりの快挙である。
 ところで、今回の山本昌が更新する前の、数々の最年長記録保持者をご存じだろうか。日本球界の黎明期に活躍し、1978(昭和53)年には野球殿堂入りを果たした浜崎真二(元阪急)である。山本昌の記録達成に沸くなか、この機会に是非とも浜崎を知ってもらいたい。
◎全国大会に異なる学校で2回も出場!?
 浜崎真二は1901(明治34)年12月10日、広島県呉市に生まれた。当時から野球が盛んな土地柄で、後に藤村富美男や鶴岡一人、広岡達朗ら蒼々たるレジェンドたちを生み出した地域でもある。
  旧制広島商で野球に明け暮れた浜崎は、現在の夏の甲子園大会にあたる1917(大正6)年の第3回全国中等学校優勝野球大会(当時は鳴尾球場を使用)に出 場。しかし翌1918年は、日本全土に広がった米騒動の影響で大会は中止に。実家は米屋を営んでいた浜崎も被害を受けたという。
  その夏、浜崎は友人らと学校をサボって海に行き、それがバレて無期停学処分を受けて退学。呉市の海軍工廠で働いていたが、同時に退学した友人に誘われて旧制神戸商に入学する。再び学生に戻った浜崎は、全国屈指の左腕投手に成長。1922(大正11)年の第8回全国中等学校優勝野球大会に出場して準優勝に輝 いた。つまり浜崎は異なる学校で全国大会に2回も出場したという、珍しい記録も持っているのだ。
  ちなみに決勝戦では、旧制和歌山中と対戦。4-0と神戸商がリードしていたが、浜崎は終盤の8、9回に打ち込まれて4-8の逆転負け。ところが、神戸商の 地元新聞社は夕刊の締め切りの都合で、4-0とリードしていた時点の原稿を書き、まるで神戸商が優勝したかのような記事を書いてしまった。テレビもラジオ もない時代、その夕刊を読んだ神戸市民は神戸商が優勝したと思って大騒ぎ。しかし、翌日の朝刊で和歌山中が大逆転勝利で優勝したことを知った神戸市民は、 大いに落胆したというエピソードもある。
◎アマチュア時代の数々の伝説
  さまざまなエピソードを持つ浜崎はその後、慶應義塾大に進学。投手だけでなく打者としても活躍した。両校の激しいライバル心から中止となっていた早慶戦が 復活した当時、1927(昭和2)年のシーズンでは浜崎は早稲田大を2試合連続完封。一躍、慶應義塾大のヒーローとなったという。
  その後、浜崎は南満州鉄道に就職。社会人野球の満州倶楽部で都市対抗野球優勝にも貢献している。この活躍が認められて、1934(昭和9)年には日本選抜 チームの一員として、米国と対戦。すでに30歳代の浜崎は、チームメイトの沢村栄治とは16歳も離れたベテラン選手だったが、その沢村を抑えてチーム最多 の7試合に登板したという記録も残っている。
 日本を代表する左腕として活躍した浜崎。諸説あるが、浜崎の身長は150センチから160センチほどで、体重もわずか50キロ前後だったという。そんな“小さな大投手”がベーブ・ルースやルー・ゲーリッ クらと対峙したシーンを想像するだけでも、浜崎の偉大さがわかるというものだ。
◎プロ野球最年長ルーキーの誕生!
 日米野球の後は満州に戻った浜崎。そして1945(昭和20)年には終戦記念日を迎える。日本に引き揚げてきた浜崎は慶應義塾大の後輩に誘われて、1947(昭和22)年に阪急に入団。浜崎は45歳のときであり、これは永久不滅の「プロ野球最年長ルーキー」記録である。
  今でいうプレーイングマネージャーの立場に就任した浜崎は、持ち前の気の強さでチームを牽引。現役生活はわずか3シーズンだったが、立派な戦力としてグラ ウンドに立った。現役最終年の1950(昭和25)年には、4月30日の西鉄戦で三塁打を放ち、9月28日の大映戦ではプロ生活最後の安打をマーク。その 時、浜崎は48歳であった。
 この年の5月7日の東急戦にリリーフ登板して勝利を収めた浜崎。現役 として最終試合となった11月5日の毎日戦では、先発のマウンドに登った。相手の毎日も湯浅禎夫監督が先発した「48歳対決」は、優勝決定後のファンサー ビスでもあった。山本昌(中日)はこの浜崎の勝利と、登板記録を更新したことになる。
 現役引退後は監督業に専念した浜崎。計6シーズンに渡り阪急の監督を務め、1954(昭和29)年には新球団・高橋ユニオンズの監督に就任。プロ野球解説者なども経験して、その毒舌評論は有名で、国鉄コーチ時の藤村富美男や近鉄監督時の西本幸雄なども酷評したほどだ。
  浜崎のプロ選手としての投手成績は5勝5敗、防御率4.03と、一瞥しただけでは平凡な成績にみえる。だがしかし、プロアマ問わず日本野球界の黎明期に多大な功績を残し、1978(昭和53)年に野球殿堂入りを果たしている浜崎は、間違いなく日本球界の歴史を振り返った時に欠かすことができない人物だ。
 1901年に生まれ、1981年に逝去。、ピンと来ない野球ファンも多いかもしれないが、山本昌が最年長記録更新時にその名が出てきた今こそ、浜崎の偉大さを忘れないでほしい。
(参考文献/プロ野球記録大鑑・宇佐美徹也著)

 

・2014年9月10日 gooニュース提供記事
http://news.goo.ne.jp/article/yakyutaro/sports/yakyutaro-20140910103227173.html?pageIndex=2
※イマジニア株式会社ナックルボールスタジアムが著作権その他の権利を有する記事コンテンツを、gooニュースで配信したものです。

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