先週の4日、巨人vs中日の試合前に、巨人軍創設80周年記念事業セレモニーが行われた。なかでも話題となったのが、長嶋茂雄終身名誉監督と 400勝投手の金田正一氏との「1打席限定勝負」。1958(昭和33)年4月5日の開幕戦で対決した2人が、半世紀後に再び対戦する、というものだっ た。
当時の対決は、立教大から鳴り物入りで巨人に入団した新人・長嶋氏を4打席連続三振に打ち取った金田氏。金田氏はこのシーズン、6月中に20勝を挙げ、64回1/3イニング連続無失点という今でも破られずにいる大記録を樹立した。
しかし、現在の野球ファンは、金田氏の全盛期の投球をリアルタイムで観たことがない人がほとんどだろう。通称「カネやん」のニックネームでお茶の間に登場する印象が強く、その「凄さ」がイマイチ伝わっていないのが現状ではないだろうか。
そこで今回は、金田氏が現役時代に残した偉大な記録を調べてみた。かつて、あるインタビューで自身のストレートを「180キロは出ていた」と豪語したというカネやん。いったい、どんな投手だったのだろうか。
◎前人未踏の大記録の数々…
国鉄(現ヤクルト)と巨人に在籍し、登板したのは合計944試合。通算400勝298敗の成績を残した。この勝利数、敗戦数はともに日本プロ野球史上最高 の数字である。その他、4490奪三振、5526回2/3の投球回数、365度の完投数、さらには1808個の四死球など、これらはすべて日本プロ野球記 録である。
なかでも金田氏を紹介する際に、枕詞のように使われる400勝は、メジャーリーグでも511勝のサイ・ヤングと、417勝のウォルター・ジョンソンの2人だけ。単純計算でシーズン20勝を20シーズンも続けなければならないのだから、不滅の大記録と言えるだろう。
この400勝中、353勝は国鉄時代に記録したもの。金田氏の初登板から巨人に移籍するまで、国鉄が挙げたチーム勝利数は744勝であり、半分近くは金田 の勝利数によるものだった。その国鉄時代、完投で負けた試合のなかで0-1が21試合、0-2が9試合、1-2の敗戦は17試合もあった。もう少し打線が打てていれば、もっと早く400勝に到達し、そして400勝以上をあげられていたかもしれない。
◎打ってもスゴイ! 歴史的打者になった可能性も?
ピッチングの他にも、金田氏は偉大な記録を残している。日本プロ野球史上最多の投手通算本塁打記録の36本塁打を放っているのだ。さらに記録を紐解くと、その36本のなかには2試合連続本塁打を2度も達成し、1955(昭和30)年5月26日と1959(昭和34)年5月30日にはサヨナラ本塁打も放っている。代打本塁打も2本記録しているなど、打者としても非凡だった金田氏。左投げでポジションは限られるが、肩はめっぽう強いわけだから、野手に専念しても、好選手になった可能性は高い。
投手の本塁打数については、現在のプロ野球では指名打者制によ り、パ・リーグの投手が打席に立つ機会は少なくなった。さらに先発、中継ぎ、抑えといった投手の分業制が確立し、野球全体のレベルが上ったことで、そう簡単に投手が打てず、代打を送られるケースも増えてきた。そういう意味では金田氏の本塁打記録を破る投手が出現する可能性は低く、金田氏の記録は破られることはないかもしれない。
記録にも記憶にも残るのが、金田正一氏のスゴいところ。プロ入り直後、並みいる先輩打者に対してバッティング投手を買って出るも、空気を読まずに全力投球。本気で先輩たちを抑えてしまい、野手陣から総スカンを喰らったというエピソードもある。
現役当時、プロ野球のテレビ中継は夜8時から始まっていた。そこで金田氏はその時間に、自分がマウンドに立っているようにと計算して、打者を打ち取っていたという伝説もある。
もちろん「今と昔じゃ時代が違う」という意見はあるだろう。だがしかし、当時から、ハードなトレーニングを続け、コンディショニングやケガの予防に細かす ぎるほど注意を払っていた金田氏。もし、今、現役だとしても、現代のスポーツ科学の力を生かして、超一流投手として、多くのファンに話題を提供し続けてく れるだろう。
今回のセレモニーをきっかけに、ネガティブな考えはやめて、日本プロ野球界の先人たちをリスペクトし、いま一度「カネやん」の偉大さを見直してみてはどうだろうか。
・2014年7月8日 gooニュース提供記事
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