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連戦に耐える精神力を養う? 過去に実際に存在した“トンデモ練習法”の数々!

連戦に耐える精神力を養う? 過去に実際に存在した“トンデモ練習法”の数々!
 台風の影響を受けて、開幕日から2日連続試合中止という史上初の幕開けでスタートした今夏の甲子園。期間中、あと1日でも雨天中止になると、昨夏から導入された「休養日」がなくなる事態になる可能性があった。
 しかし、無事に8月23日(土)は「休養日」が確保された。これで連戦は最大で2試合となり、負担が大きい高校生投手には大切な休養日となった。また連日、猛暑日が続いたこともあり、野手にとっても恵みの休養日になったといえるだろう。
  しかしながら、「休養日」がなかった時代のほうが長いわけで、夏真っ盛りに行われる甲子園で戦うには「相手に勝つ前に、暑さに勝つ」といった、“精神的に 強くなる”姿勢が大事にされてきた。酷暑の真っ最中にグラウンドで必死にノックを受けたり、「水を飲むな」という指導法は、 “精神的な強さ”を鍛えるためのものだった。
 今回はそんな野球部の代名詞ともいえる“猛特訓”や“猛練習”について、過去に実際に存在した“トンデモ練習法”を紹介しよう。
◎明治時代:高すぎるプライド! 旧制一高野球部の異常な負けず嫌いから生み出された決まりとは?
  野球というスポーツが日本に上陸した明治初期、各校では次々と野球部が創部された。なかでも現在の東京大学教養学部の前身である旧制一高は野球部の強化に 注力し、自前で野球専用グラウンドを所有するほど熱心であった。その理由は、日本を代表する学力を誇る同校は、野球に関しても日本ナンバーワンでなければ ならなかったのだ。
 そんな旧制一高の野球部は、他の野球部に負けるまいと連日、猛練習が行われて いた。古い文献のなかに記されている練習方法で驚くのは、投球練習のし過ぎで右腕が曲がってしまった投手は、桜の木の枝に腕を吊して曲がった腕を真っ直ぐ に治すといった練習を行っていたという。そこまでやるなら、腕が曲がるまで投げなければよいと思うのだが……。
◎大正時代:余計なお世話丸出しの野球部先輩が課した猛練習とは?
 無敵の旧制一高の野球部に追いつけ追い越せと、日本各地で野球熱が高まっていたのが大正時代初期。なかでも1917(大正6)年の第3回夏の甲子園で優勝した、愛知県の愛知一中には鬼のような野球部OBがいた。
 連日連夜、後輩たちをシゴいていたそのOBは、なんとお寺の和尚さん。大須・万松寺の住職を務める伊藤寛一という人物で、寺にいるよりもグラウンドにいる時間のほうが長く、後輩たちにとっては何ともありがた迷惑な先輩だったようだ。
  その“鬼畜和尚”は後輩たちに素手でキャッチボールをさせ、選手たちは冬場になるとアカギレなどで血が噴き出し、ユニフォームが真っ赤に染まったという。 また、全国大会に出場するナインには「我々は天下を取った織田信長、豊臣秀吉、徳川家康の子孫だ。だから対戦チームは皆、家来の子孫である。家来に負ける 訳はないから、全国優勝するのは我々だ!」とよくわからない教えを説き、後輩を励ましたという記録が残っている。
◎昭和初期:知る人ぞ知る! 伝説となった野球の練習を超えた広島商の練習方法とは?
 最後は、ご存じの方はいるかもしれないが、広島の古豪・広島商の昔の練習方法を紹介しよう。後にプロ球団の監督も務めた、石本秀一監督が率いていた当時の広島商では、日本刀の刃を上に向けて、その上を素足で歩くという“精神鍛錬”の練習が行われていた。
 石本監督曰く「気合いがあれば痛いことはない」と、もはや野球の練習とはいえない、理屈を超えた練習が行われていたのだった。ちなみに、この練習が役立ったのかは不明だが、広島商は1929(昭和4)年の第15回大会で見事、全国制覇を成し遂げている。
(当時の広島商野球部の実態は『野球太郎No.003』の「広商野球部あるある」で紹介しています。)
 上記に挙げた練習を体験していた当時の球児たちが「休養日」ができたことを知ったら、何を思うだろうか……。いずれにせよ、よい子の皆さんは決してこんな練習を真似しないように!
・2014年8月27日 gooニュース提供記事
http://news.goo.ne.jp/article/yakyutaro/sports/yakyutaro-20140827144030152.html
※イマジニア株式会社ナックルボールスタジアムが著作権その他の権利を有する記事コンテンツを、スポニチアネックスで配信したものです。
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