今年の夏の甲子園で、よくも悪くも話題となったのが女性マネージャーの存在だろう。女性の参画が少なすぎる、と批判を浴びることが多い高校野球と甲子園大会だが、歴史を振り返るとさまざまな場面で女性が重要な役割を果たしてきたことがわかる。「女性が支えてきた甲子園史」を振り返ってみよう。
◎「野球女子」の先駆けは甲子園から
「カープ女子」や「オリ姫」を筆頭に、昨今急増していると話題の「野球女子」。だが、歴史をさかのぼれば「野球女子」の発祥は甲子園にあった。今から90年前、甲子園球場が誕生した際に肝いりで取り付けられた鉄傘(今の「銀傘」の前身)がそのキッカケだ。
「天候が悪くてもスポーツ観戦が楽しめるように」という狙いで設置された鉄傘だったが、夏の日差しの中でも日焼けしないですむ、とむしろ女性に好評。それが結果的に、女性ファンの開拓、という副産物をもたらしたのだ。
◎GHQから甲子園を取り戻した女性通訳の機転
1941(昭和16)年以降、太平洋戦争によって甲子園など高校野球の大会は中止に追い込まれた。そして、戦争終了後も甲子園球場はGHQの管理下に置かれ、常時1500人近い米軍兵士たちの駐屯基地になってしまう。そのため、1946(昭和21)年から野球の大会は復活し、夏の高校野球も行われたのだが、開催球場は甲子園ではなく西宮球場だった。
甲子園球場での大会が復活を果たしたのは1947(昭和22)年のセンバツから。ただし、開催の実現までには紆余曲折があった。主催者である大阪・毎日新聞社は阪神電鉄の協力を得ながらGHQに働きかけ、一時は大会復活が認められたが、文部省の正式な許可を先に受けていなかったことやGHQ側の意向(「アメリカには全国大会はない」、「新聞社が主催する大会はおかしい」などなど)もあり、既に出場校も決まっていた1947(昭和22)年3月に文部省から大会中止の通達が届いてしまう。
この窮地を救った一人がGHQの通訳を担当していた三宅悦子だった。首を縦に振らなかったGHQのノーヴィル少佐に対して発した「あなたが大会を中止させたら、日本人に一生恨まれますわよ」という言葉をきっかけに「とりあえず、今年度は開催しよう」とノーヴィル少佐の態度が軟化。こうして、甲子園に学生野球が復活したのだった。
◎現代まで受け継がれるウグイス嬢の技
甲子園球場に響くウグイス嬢のアナウンスは、一服の清涼剤のように心地よい。野球場のアナウンスに女性が起用されるようになったのは戦後、1947(昭和22)年の後楽園球場から。プロ野球が2リーグに分裂した1950(昭和25)年以降は各球場でも一般的な存在になり、甲子園球場ではセ・リーグ野球連盟関西支社の女性職員が担当していた。
そして、球場専属ウグイス嬢の第一号となったのは、阪神電鉄に務めていた飯森喜久子さん。1953(昭和28)年のセンバツから1970(昭和45)年まで放送を担当した。その後も、飯森さんから教えをうけたウグイス嬢がアナウンスを担当し、現代にまで引き継がれている。
◎50年以上続くプラカードガールの歴史
夏の甲子園の名物風景といえば、開会式でプラカードガールを先頭に始まる入場行進だ。これは1949(昭和24)年から続く夏の伝統風景。プラカードを持つことができるのは、西宮市立西宮高校の2年生女子生徒に限られている。
1949(昭和24)年以前はボーイスカウトが持っていたプラカード。これが西宮高校の女子生徒に変わったのは1947(昭和22)年の「学制改革」に端を発している。全国で男女共学が進んだことを受け、「甲子園大会でも新機軸を打ち出したい」という話が持ちあがり、手をあげたのが同校教諭の岸仁(当時の兵庫県高野連理事)だった。同校も西宮高等女学校から男女共学の西宮高等学校に変わったばかり。「変革」を打ち出すには適任だった。以降、ずっと西宮高校からプラカードガールは選抜されている。
◎入場行進と校歌斉唱は人見絹枝の発案
プラガードガールの誕生は上述の通り1949(昭和24)年から。だが、そもそも入場行進自体は1929(昭和4)年のセンバツからという、さらに長い歴史を持つ。この入場行進の実施を提案したのが、日本人女性初の五輪メダリストである人見絹枝だ。
人見は自身が出場した数々の国際大会で行われていた入場行進や国旗の掲揚にいたく感銘を受け、日本にそのアイデアを持ち帰った。その結果、プラカードを持った先達者に続いての入場行進のほか、勝利校の校歌の吹奏、国旗掲揚などの導入も勧めたといわれている。
冒頭でも記したが、高校野球への女性参画は他ジャンルに比べてまだまだ遅い、という批判がよくあがる。女子マネージャーのベンチ入りが認められたのは1996(平成8)年から。女子部員の大会出場はいまだに認められていない。まだまだ変革すべき部分が多いからこそ、過去にはどのように参画してきたのか、その歴史を知り、スポットを当てていくことも重要ではないだろうか。
・2014年8月22日 gooニュース提供記事
http://news.goo.ne.jp/article/yakyutaro/sports/yakyutaro-20140822130852501.html
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