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日米ノーヒッター第1号物語~ここから生まれた伝統~

日米ノーヒッター第1号物語~ここから生まれた伝統~
 MLB屈指の左腕、クレイトン・カーショー(ドジャース)がノーヒットノーランを達成した。現地時間6月18日のロッキーズ戦に先発したカー ショーは、9回を投げて15奪三振を記録しながら、わずか107球で締めて、許した走者は味方の失策の1人だけという準完全試合を達成したのだった。
  今季のメジャーリーグでは5月25日に同僚のベケットが達成して以来、2度目の快挙。日本でも5月2日、岸孝之(西武)がロッテ戦で達成したのは記憶に新 しいところだ。ところで、日米のプロ野球で史上初めてノーヒットノーランを達成したのは誰だろうか。今回は日米のノーヒッター第1号に迫ってみよう。
◎MLBではなんと138年前に快挙達成!
  まずはメジャーリーグから。史上最初のノーヒットノーランを達成したのは、今からなんと138年も前の話だ。1876(明治9)年、ナショナルリーグのセントルイス・ブラウンストッキングスというチームに所属していたジョージ・ブラッドリーが、ハートフォード・ダークブルースというチームを相手に記録して いる。ブラッドリーはこの年、チーム全64試合に先発して、16完封を含む45勝をマーク。途中降板したのは一度だけと、信じられない記録も残している。
◎日本は偉大なあの投手が!
  続いて、日本球界史上初のノーヒットノーランを達成したのは誰か。正解は、あの伝説の大投手・沢村栄治だ。1936(昭和11)年9月25日、甲子園球場 で行われた大阪タイガース戦に先発した沢村は、伸びのあるストレートと外角に落ちる変化球でタイガース打線を手玉に取り、4四球を与えたものの、1-0で ノーヒットノーランを記録したのだった。
 屈辱を味わった大阪タイガース。「打倒・沢村」を決意し、その剛速球を打ち返すために猛特訓に明け暮れた。マウンドから打席までの距離を半分に縮めて打撃練習を行い、甲子園球場にカギを掛けて、部外者を入れることなく秘密練習を繰り返したという。
 現在でも「伝統の一戦」といわれる阪神と巨人の対決。沢村のノーヒットノーランは、巨人をライバル視するきっかけとなり、つまりは「伝統の一戦」は、この試合に起因していると言ってもよいだろう。
◎中堅手がノーヒットノーラン?
 最後にノーヒットノーランにまつわる話をもう1つ。戦後まもなくの日本プロ野球では、本職はセンターを守っていた選手が、ノーヒットノーランを達成したことがあった。
  当時は阪神軍に所属していた、呉昌征(ご・しょうせい)は俊足巧打がウリの外野手。1946(昭和21)年6月15日の阪急戦では1番・センターで出場し ていた。しかし、翌日のセネタース戦では先発として起用される。その呉昌征がなんと、ノーヒットノーランを達成してしまったのだ。
  許した走者は5四死球の5人、122球での快記録達成は、実は戦後初のノーヒットノーランだった。戦後間もない当時のプロ野球は選手不足に悩まされてお り、投手と野手を兼任する、いわゆる「二刀流」選手は珍しくなかった。特に呉はこのシーズン、打者として打率.291、リーグ1位の78得点を記録。ま た、投手としても27試合に登板し、14勝6敗で防御率3.02と本職の投手顔負けの素晴らしい成績を収めたのだった。
・2014年6月24日 gooニュース提供記事
http://news.goo.ne.jp/article/yakyutaro/sports/yakyutaro-20140624134257267.html
※イマジニア株式会社が著作権その他の権利を有する記事コンテンツを、gooニュースで配信したものです。
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