7月18日に開幕した第85回都市対抗野球大会。今年は85回記念大会ということもあって、例年より2チーム多い34チームが出場し、29日の決勝戦まで東京ドームでしのぎを削る。この都市対抗野球大会ならではの制度と言えば、各チーム3名まで認められている「補強制度」だ。その成り立ちも含め、補強制度から改めて都市対抗野球大会を掘り下げてみたい。
◎プロ野球セ・パの誕生で生まれた補強制度
都市対抗野球において、補強制度がスタートしたのは1950(昭和25)年の第21回大会から。その年に起きたプロ野球の2リーグ制に伴い、球団数が一気に8から15に増加。そのため、100人を超える選手たちが社会人野球から引き抜かれたことがきっかけだった。
大量の選手流出でレベルの低下を懸念した大会関係者は、「都市の対抗」という伝統を守る意味も含めて「補強制度」を考案。こうして、敗退した同じ地区の選手を加えて戦力をアップさせるという、都市対抗ならではのユニークなシステムが生まれたのだ。
当初は2次予選の前に5名、都市対抗本戦の前に5名の計10名補強できたが、1978(昭和53)年の第49回大会から2次予選での補強がなくなり、都市対抗本戦時に5名まで補強選手を選ぶことができた。2010(平成22)年の81回大会からは3名までと登録人数が減っていきながらも現在まで続いている。ちなみに、この「補強制度」を発案した人物こそ、都市対抗野球育ての親といわれている小野三千磨だといわれている。
◎補強制度の意義
選手の立場に立ってみると、所属チームが予選で敗れても、自分自身が出場できるチャンスを得られるため、地区を代表する選手になろうとモチベーションを高く保てるというメリットがある。
また、都市対抗には「10年連続出場」という表彰制度がある。厳しい予選がある以上、単独チームでこの表彰を受けることは困難だ。「今年もあの選手をドームで見たい」というファンの声を実現するためにも、意義のある制度をいえるだろう。
同様に補強制度は、地方で埋もれている才能を全国デビューさせる貴重な場にもなっている。近年、補強選手として全国デビューを果たし、プロ入りにつなげた例としては、今季、広島の中継ぎの主軸としてブレイクした一岡竜司が顕著だろう。
専修学校ながら社会人野球に登録してある沖データコンピュータ教育学院の生徒だった一岡は、3年時の2011年にJR九州の補強選手として都市対抗に初出場。大会では打ち込まれてしまったものの、その年のドラフト会議で巨人から3位指名を受けるきっかけとなったのだ。当初、一岡にプロ入りの意志はなく、エンジニアを目指していたという経歴を知れば、まさに補強制度が生みだしたシンデレラストーリーといえるだろう。
◎補強制度のジンクス
近年、都市対抗本戦への切符を手にしても「補強制度」に頼らないチーム作りを目指す例は年々増加傾向にある。社会人野球チームの減少もあって、有力選手が特定のチームに集中しやすくなっている、という背景もあるだろう。
その一方で、都市対抗優勝と補強制度の間には奇妙なジンクスも存在する。それが、補強選手を活用せずに優勝はできない、というもの。
1950(昭和25)年の補強制度開始以来、都市対抗優勝チームには必ず補強選手が存在していた……のだが、昨年優勝したJX-ENEOS(横浜市)は補強選手がゼロ。60年以上続くジンクスに終止符が打たれた。
今年の大会では改めてジンクス復活となるのか? それとも2年連続でジンクス破りとなるのか!?
今大会でも、JR東日本東北(仙台市)の補強選手として昨季の社会人ベストナイン・伊東亮大(日本製紙石巻/写真)が、JFE西日本(福山市・倉敷市)には昨秋の日本選手権で大会新となる15奪三振をマークした鮫島優樹(三菱重工広島)が加わるなど、補強選手の中にもドラフト候補はもちろんいる。
普段とは違うチームの中でどんな結果を出せるのかも含め、大いに注目してみてはいかがだろうか。
・2014年7月22日 gooニュース提供記事
http://news.goo.ne.jp/article/yakyutaro/sports/yakyutaro-20140722125808483.html
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