今年もまた、甲子園出場を目指した球児たちのアツい季節がやって来た。
甲子園への切符を手にすることができるのは全国約4000の出場校の内、わずか49代表。ほとんどの学校が「甲子園出場」という夢叶わぬまま敗退してしまう。だが、試 合に出て、敗れた結果ならば、まだいいほうだ。全国には試合に出ることもできず、補欠のまま3年間の部活動を終えてしまう球児も大勢いることを忘れるべき ではないだろう。
そんな高校野球部の“補欠”を主人公にした映画が『ひゃくはち』だ。 「ひゃくはち=108」とはもちろんボールの縫い目の数であり、人間の煩悩の数でもある。原作は早見和真による同名の書き下ろし小説。不思議なことに、原 作である小説版と映画版のどちらも2008年夏に公開されている。その理由は、映画版の監督・脚本を務めた森義隆がたまたま発表前の小説のゲラを読んで、 その内容に惚れ込み、出版が具体化する前に映画化に向けて動き出したからだ。
ちなみに、ゲラの段階で小説版は原稿用紙1000枚超。それを単行本にするために600枚に削ったという。だからなのか、小説版と映画版は結末も含めて内容に大きく違いがある。小説は読んだから映画はいいや、と思っている人がいるとしたら、ぜひ映画版も見てみることをオススメしたい。
結末は違うといえども、大きな流れはもちろん一緒。全国屈指の野球名門校、京浜高校の補欠部員である雅人とノブの親友コンビがベンチ入りを目指して奮闘す る姿を描いた青春ストーリーだ。そして、結末は違うといえども、この手の「映像化」によくある、原作ファンをガッカリさせるようなこともない。なぜなら、 本作の根底に流れる「高校野球部の理不尽さ」というテーマを徹底的に描いているからだ。
自身も高校時代に野球部に在籍していたという原作者の早見和真は、あるインタビューで『ひゃくはち』で高校野球を取り上げた理由を聞かれ、こう答えている。
「高校野球部時代に人生で一番の感動、恨み、疑問などさまざまな思いを感じたから。最初で最後になるかもしれない小説のテーマはこれしかなかった」
そんな原作者の意図をしっかり汲んでいるからこそ、映画の中で主人公は、野球記者から「野球楽しい?」と質問されて「楽しくはないっす。ほぼ苦しいっす ね」と笑顔で答え、ベンチ入りできるかどうかの当落線上にいるからこそ「本当はメンバーの誰でもいいから死んでくれないかと思っている」という本音も飛び 出す。
考えてみれば、偶然に左右されることが多い野球は、ある意味でとても理不尽なスポーツとも いえる。そして、そんな理不尽なスポーツにおいて、先輩からの命令や鬼監督からのプレッシャーに耐えながら日々練習に励む高校野球部は、もっとも理不尽な 集団といっても過言ではない。
もちろん、当事者にしてみれば、たまったものではないだろうが、端から見る分にはそんな理不尽さにこそ、クスっと笑えたり、心の奥深くを刺激してくれたりするエッセンスが詰まっているのは『野球部あるある』でも証明されたとおり。そんな「野球部」という存在と内容を変に誇張することもなく、それでいてしっかりと感動も笑いもあるエンターテイメントに仕上げた『ひゃくはち』は、高校野球の季節にこそ観ておくべき映画といえるだろう。
・2014年7月1日 gooニュース提供記事
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