今季限りでユニフォームを脱いだ木田優夫氏。1986年のドラフトで巨人から1位指名されて以降、日本4球団(巨人、オリックス、ヤクルト、日本ハム)、アメリカ3球団(デトロイト・タイガース、ロサンゼルス・ドジャース、シアトル・マリナーズ)でプレーした。さらに2013年からは日本の独立リーグ・BCリーグの石川ミリオンスターズで2年間プレーを続け、46歳まで投げ続けた。
ちなみに木田氏と同じ1986年ドラフト組には、来季も兼任コーチとして現役を続けることが決まった同い年の中島聡(日本ハム)がいる。他には、2013年、45歳のシーズンまで現役を続けた山崎武司(元中日ほか)をはじめ、長く現役を続けた選手が多い世代だ。なぜ長寿選手が多かったのか、木田氏本人に話を聞いた。
◎長寿の秘訣1:トレーニング理論、意識の変化
変わり者が多かった、というのもあると思いますが(笑)、僕らの世代って、野球界の色んなルールや常識がちょうど変わっていく過渡期だったことが大きいと思います。特に、オフシーズンの過ごし方とトレーニングに対する考え方が変わりました。
昔の選手も練習量は凄かったんですが、オフはあくまでもオフ。基本的に練習をしない期間だからこそ、キャンプでは走り込みが必要、という考え方でした。
でも、今の選手の場合、走り込みや基礎トレーニングなんていうのは1年中やっていることなので、キャンプで特別走り込む必要はないんですね。どちらが体にいいかといえば、1年中体のことを考えながら生活して、トレーニングもランニングも欠かさずやったほうがいいに決まっています。
◎長寿の秘訣2:手術が身近なものに
投手に限っていえば、僕らのちょっと上の人たちから、手術を受けられるようになったのも大きいですね。ヒジの簡単なクリーニング手術も昔はできなかったわけです。僕が最初に手術を受けたのは1997年ですが、あれを受けていなかったら、その時点で選手生命は終わっていたかもしれません。
◎長寿の秘訣3:野球観をいかに広げるか
僕個人の話でいえば、NPBで4球団、MLBで3球団、いろんな監督、コーチのもとでさまざまな野球を経験できたことも大きかったと思います。いろんな特徴を持つ投手も間近で見られたおかげで、技術的にも野球観的にも若い頃より、だいぶ視野が広くなったと思います。
若い頃は力任せのピッチングでしたけど、日本ハム時代は当時の吉井(理人)コーチから「インチキ投法」といわれるくらい、どうやって相手のタイミングを外すか、についてばっかり考えて投げていました。投球フォームも上から横に変わりましたし。昔は筋肉を鍛えていたのを、最後の方は関節の動かし方を考えながらフォームを作っていましたから。
いずれにせよ、僕らの前後くらいから、プロ野球という世界の中で、生き抜くために何をしなければいけないのか、を自分でちゃんと考えて取り組む選手が多くなったんだと思います。僕の場合はたまたま周りに、そういった知識を持っていた人がいたので、うまくその流れに乗ることができました。
もちろん、これからは皆がそういう常識の元で競争するわけで、これはこれで生き抜くのは大変なわけですが。でも、僕らの世代では、早めに気づくことができた選手が長く現役を続けられたんじゃないかと思います。(週刊野球太郎編集部)
・2014年11月13日 スポニチアネックス提供記事
http://www.sponichi.co.jp/baseball/news/2014/11/13/kiji/K20141113009277520.html
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